フランス文学の愉しみ

No 1パリ、1933年、ドゥマゴ文学賞誕生

『はまむぎ』レーモン・クノー著/滝田文彦訳/白水社(品切れ中)

 パリ、サン=ジェルマン=デ=プレ通りの同じ名の教会の向かいに、1884年以来、カフェ・ドゥマゴはあります。パリジャンや外国人旅行客が行きかうその通りにあるこの文学カフェは、パリのシンボルの一つともいえます。カフェ・ドゥマゴのインターネットのサイトを訪れると、ドゥマゴ文学賞の誕生秘話が紹介されています。

 「1933年、当時から最も権威があるとされていた文学賞、ゴンクール賞がアカデミックでありすぎるという反発のもとに、当時まだ無名であった若い作家レーモン・クノーの処女小説『はまむぎ』に第一回ドゥマゴ文学賞が授賞されました。この賞は、それ以来さまざまなタイプの、そしてより独創的な、優秀な作品を世に広めることを使命としています。」さらにもう少し、そのいきさつを詳しく語る証言があります。

 ゴンクール賞作品発表と同じ日、ドゥマゴの常連客の詩人ヴィトラックと国立図書館の司書マルティーヌが、他の常連客を誘って全員で13人が100フランずつだしあい、新しい文学賞と1300フランの賞金を新人作家に与えようと決めました。カフェのオーナーであったブーレー氏は翌日の新聞でそれを知り、賞金は自分がだしたいと申し出ました。

 ところで、1933年のゴンクール賞を受賞したのは、後に文化担当国務大臣にもなった文豪アンドレ・マルローの大作『人間の条件』。本作は、純文学と言われるにふさわしい、政治闘争と人々という非常に現実的なテーマを扱った、感動的な作品です。一方で『はまむぎ』は、シュルレアリスムの影響が強い、突拍子のない展開の、全く古い形式にとらわれない   ̎ 今 ̎   話されているフランス語で書かれた作品です。確かに『人間の条件』と『はまむぎ』は全くタイプの異なる作品ですが、それ以外にもそれぞれの授賞にはわけがあるのです。どのような作品かということを述べるととても長くなりますので、なぜそれらの作品が選ばれたのかというお話をしましょう。

1933年第1回選考委員たちとレーモン・クノー(右から3人目)

 1920年代のパリの文壇と芸術界では、前世紀までの主流であったレアリスムに対する強い反動として、フロイトの精神分析に影響をうけた、既成の秩序や保守主義へ反発するシュルレアリスムが台頭していました。しかしその指導者である詩人アンドレ・ブルトンの発想は次第に独断化し、終にはシュルレアリスム運動から小説家を追放しました。その文学界の状況の中で 、1932年にはゴンクール賞を巡る一事件が起こりました。本来はルイ=フェルディナン・セリーヌの『夜の果てへの旅』の受賞が確定していたのですが、あろうことか、発表当日には他の作家の作品の名が発表されたのです。このセリーヌの作品は、彼の名を仏文学史上に遺すことになりましたが、クノーの作品に通じる " 現在話されている ̎" フランス語が絶妙に駆使された独創的な、伝説的ともいえる新しい文体で書かれています。けれども、セリーヌは複雑な文壇の諸事情によりゴンクール賞を逃しました。この事件は混乱を招き、従って、1933年の受賞作は満場一致の作品が選ばれることが最重要課題とされ、マルローが受賞することとなりました。結局、クノーの作品の優れた独創性は後年に証明されますが、1933年には文壇から支持されるには至らず、それに反発する独立派の有志によってドゥマゴ文学賞第一回作品に選ばれたのです。つまりマルローとクノーの作品のいずれがより優れているかは、決定の理由ではなかったのでしょう。むしろそこには文壇の影響、さらに社会の背景(二世界大戦間の歴史)と、当時の読者の好みの多様性とその進化が反映しています。

 それでは30歳のクノー自身はなぜ『はまむぎ』を書いたのでしょうか。「私はギリシャに旅をしていた。[...]突然、天啓のように、古い文法から解き放たれた現代の生きたフランス語で、しかも哲学のように卑近でないことを語るということが閃いた。17世紀にデカルトがフランス語で『方法序説』を書いたように...」つまり『はまむぎ』は、この意図に従って書かれた哲学的-抽象的-小説と言えるのです。(それで一見ナンセンス小説に思えるのですが)その構造には、彼の得意とする数学的発想も含まれています。そしてこの点が将来の新しい詩の運動「ウリポ」に開花していきます。

 このようなクノーを、同時代人はどう語っているのでしょうか。サルトルとボーヴォワールは、彼はとても学識があり、陽気によく笑う人であったと伝えます。ある日、彼らがクノーに「シュルレアリスムはあなたに何を残しましたか」と尋ねると、クノーは「" 青春 "(jeunesse)があったと思えることです」と答えています。そしてまさにその " 若さ"(jeunesse)こそが、一読者である私が『はまむぎ』にもつ痛烈な印象なのです。既成概念の何ものにもとらわれない自由をもつ " 若さ" は、時に周囲に理解されることが難しいこともある、人間の普遍的な価値の一つです。

 クノーの受賞を皮切りに、ドゥマゴ文学賞は新しい、独創的な" 若さ" を持つ作品を支援することを使命として85年間が立ちました。Bunkamuraドゥマゴ文学賞も1990年から同じ意志のもとに活動しています。

 文学賞は、多数ある作品の中で、捉えられがたい才能に光をあてる役割を果たしているのではないでしょうか。その作品が仮に、非常識に思えたものであっても、実は、人々の心の奥底にあるエネルギーが結晶して、新たな未来をつくる可能性をもっていることを誰かが予感しなければなりません。

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